日本宣教学会; Evangelical Missiological Society; American Society of Missiology ~現在
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「宣教の民としての教会論―福音派の宣教の神学における宣教的教会論の意義を巡って」 篠原基章 『宣教学ジャーナル』 第8号号 38~ 63 2014年06月 依頼有り 福音派の宣教理論において、教会理解はアキレス腱ともいうべき弱点であった。宣教的教会論は教会の宣教的性質(the missionary nature of the church)を土台とする宣教/教会理解であり、福音派の宣教理論における教会論的側面の回復をもたらすという極めて重要な意義がある。本論文は宣教的な教会理解を手掛かりにして、福音派の宣教思考を再検討する。
The Church as God’s Missionary Community: Toward an Evangelical Theology of the Missional Church with Implications in the Japanese Evangelical Churches 篠原基章 2012年12月 査読有り 英語 学位論文 この論文は、宣教の神学の分野における「教会」の神学的理解と位置づけに関する研究である。福音派の宣教の神学において、個人的救済 (伝道)に強調点がおかれてきたがゆえに(その強調自体は非常に本質的な事柄であるが) 、教会の理解は伝道活動の延長線上において理解される傾向が強く、その教会理解は不十分であった。この論文は、現代における宣教的教会論(missionary ecclesiology or missional church)の議論を手掛かりとして、教会の宣教的な性質(the missionary nature of the church)の理解から福音派の神学における教会の理解と宣教の使命を再検討する。第一部において、二十世紀におけるエキュメニカルと福音派の宣教の神学における 「教会」の理解と位置づけに関する変遷と課題について考察する。第二部において、現在の宣教的教会論の展開と問題点を批判的に考察し、 福音派の宣教の神学の枠組みにおける宣教的教会論の構築を試みる。 第三部において、近代日本における教会理解を概観し、主に日本の福音派教会における宣教的教会論の神学的・実践的意義について論じる。
Theology and Worldview 篠原基章 2009年05月 査読有り 英語 学位論文 :カント以降の近代神学において、宗教的真理を含む形而上学に属する事柄は客観性を持たないものとされてきた。そのような傾向に対し、リフォームド神学者である H.バーフィンクは、神学の使命は神に関する知識と共
に、「世界の意味」を提示していく使命をも担っていると論じた。現代を代表する神学者である W. パネンベルクは、神学と科学における二分化から生じる主観主義的傾向を厳しく批判しつつ、バーフィンクと同様、神学こそが「世界の意味」 を統合するところの世界観を示していく使命を担っているとする。バーフィンクとパネンベルクにおける神学と世界観の関係性についての議論を中心に、神学における「世界の意味」を提示していく使命について論じた。
宣教の民としての教会論 -福音派の宣教の神学における宣教的教会論の意義を巡って- 2013年06月 招待有り 近年の北米に於いて古くて新しい宣教論が注目されている。現代における宣教的教会論の議論は多岐に渡り、定義することは困難である。しかしより根源的な意味において、宣教的教会論とは「神によって派遣された群れ」又は「宣教の民」としての宣教/教会理解のことである。宣教的教会論において、宣教と教会は互いに切り離すことができない「対概念」として理解される。宣教が教会の本質であるとした場合、宣教について語る際、もはや教会を抜きに語ることはできなし、その逆も然りである。この神学的確信に立った宣教論は、教会と宣教の理解における重要な転換を促している。すなわち、従来の宣教理論において教会は宣教の担い手であり、「遣わす」側として理解されてきたが、宣教的教会論において、教会そのものが「遣わされた」存在として理解される。このことは、宣教の業を始点とした延長線上に教会を位置づける機能的(functional)な理解から、教会の存在論的(ontological)且つ目的論(teleological)な理解への転換を意味しており、教会の理解において既に内包されているところの宣教的性質に始点を置く宣教/教会理解である。宣教的な教会理解は、聖書全巻を通して語られている「神の宣教」の中に位置づけられた教会の神学的理解に基づいている。福音派の宣教の神学において、教会理解はアキレス腱ともいうべき弱点であった。しかし、宣教的教会論は、教会の宣教的性質(the missionary nature of the church)を土台とすることで、宣教の教会論的側面の回復を促し、より成熟した宣教理論の発展と宣教の実践に貢献することができるであろう。